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放送教育ネットワーク

 先に2回にわたって取り上げた放送教育の活性化は、放送番組をモジュール化することでもなければ、デジタル化することでもなく、むしろ、情意の領域の学習を促進する機能を生かす方向を探ることであった。これは、番組のモジュール化や、デジタル化が不要であるというのではない。しかし、放送というメディアの機能にもっとも適した制作や利用方法をないがしろにしては、メディアの働きを半減させることになるからである。放送教育に情意の学習を促進する働きを期待するのは、放送というメディアの持っている特徴的な性質、例えば、ドラマ性や感動性を生かすことになり、結果として現代の教育課題にこたえるからである。

 現代のメディア状況において、放送教育は、コンピュータなどによる教材に比べて、情意の領域の学習課題への貢献が望まれながらも、これを実現することができなかった。それは、放送教育の低落傾向の原因ともなっている、情意の領域の学習成果の評価の困難さにあった。目指すものの評価が困難であることから、多数の教師が他のメディア利用に移り、放送教育関係者は自信を喪失したものと思われる。

 わが国の教育課題として、情意の学習は、その重要性が言われながらも、なおざりにされてきた。現在もそうであるかもしれない。事実、「社会問題に対する感受性が高い」、「他人を助けることに喜びを感ずる」などのような人間にとって重要な性質も、これが測りにくいことから、教育実践の中心から外れる傾向が見られる。しかし、日常の教育実践で願っている「学習意欲が高まった」、「自信を深めてきた」というような、人間の変化を明確にとらえることができれば、放送教育の活性化に資することができる。そのために、ここでは情意の領域の学習成果をとらえる方法を考えることにする。

 「評価」は、評価のもとになる「資料」と「判断」とによって行われる。そして、評価のための資料には、「量的資料」と「質的資料」とがある。量的資料が「測定」によるのに対して、質的資料は測定以外の方法で収集される。オリンピック種目でいえば、100メートル競争は測定資料(秒数)によって順位が判断されるのに対して、シンクロナイズド・スイミングは非測定的資料(美しさなど)によって順位が判断される。学習成果では、認知の領域の成果が測定的資料を得やすいのに対して、情意の領域の成果では測定資料が得にくい。しかし、放送教育のねらいの重要な部分が、情意の領域の学習成果にあるとすれば、困難であっても、その成果を明らかにする試みを続けないわけにはいかない。

 情意の領域の学習成果は、B・ブルーム他による『教育目標の分類学』(1956年、1964年、1972年)をもとにして、R・リンとN・グロンランドの『授業の評価と測定』(2000年)は評価の方法を示している。これによると情意の領域の目標の「1. 受容」では、「注意深く聞く」「人種や文化の相違を受け入れる」などである。「2. 反応」では、「討論に加わる」「他人を助けることを喜ぶ」などの目標であり、「3. 価値づけ」では、「福祉に関心を持つ」「優れた音楽を観賞する」などであり、「4. 統合(価値の)」では、「自分の責任を受け入れる」「自分の長所と短所とを理解して受け入れる」などであり、「5. 人格化」では、「安全性への自覚を示す」「勤勉と自制心を示す」などである。

 これらの成果は、単純に質問をして判断されるというものではない。例えば、「他人を助けることに喜びが感じられますか」と尋ねて、「ハイ」と答えたとしても、心の内部のことを速断することはできないからである。そこで、実際場面での観察や、それを明らかにするための工夫が必要となる。

 複雑な心の状態を明らかにするのは容易ではない。これを判定する資料収集の方法として有力なのが、観察と作文である。「注意深く聞く」という目標の達成は、観察によるほかはない。教室で背筋を伸ばして聞いている状態を記録に留めておく。「勤勉と自制心を示す」であれば、種々の場面での行動の観察によって判断することになる。これに類似のものとして、(1) 逸話的方法:平常の行動を観察して、(特徴的な)行動を記録し、評価の資料とする。例えば、話し方、実験器具の扱い方などや、規則の遵守(じゅんしゅ)、社会問題に対する感受性などが記録される。さらに、(2) 種々の尺度法:「生徒がどれくらいグループ討議に加わっていたか」などをメモっておく。(3)チェックリスト:「掃除のとき、雑巾(ぞうきん)を絞っている」などの記録、あるいは、(4) 特定の尺度(サーストン、リカートなどによる)の利用が挙げられる。

 観察とともに、複雑な学習の成果の判定には、作文が使われる。作文には、(1) 制限型作文問題:例えば、「日清戦争と日ロ戦争の勃発(ぼっぱつ)の原因の相違について述べなさい」などである。あるいは、「制限」「原因の相違」「有力な資料」などの観点から、原因と結果との関係の説明、法則の適用の説明、有用な仮設を設定、妥当な結論の導き方などを要求する。(2) 拡張型エッセーでは、「自民党と自由党の外交政策の相違について述べなさい」などである。そして、これらの記述の中に、ロシアに関する好悪、小沢党首に対する好悪なども類推することができる。

 
   観察と作文による評価の方法は、ほんの一般である。それぞれの専門書にあたることを願っている。これらの資料収集の方法によって、放送視聴の、しかも、長期にわたる累積的な効果を見るには、さらに工夫が必要である。しかし、このような成果の累積の記録なしには、放送教育の再生の道は見つからないと思われる。最近、評価の累積にかかわる「ポートフォリオ」の技法が開発されてきている。これまで放送教育は「易しい」と言われてきた。しかし、情意の領域の評価や、長期にわたる教育効果を調べる仕事は、決して容易ではない。教室でのインターネット利用や、放送番組の双方向利用を試みるエネルギーを投じる必要もあろう。しかし、今こそ、継続的な研究を積み上げることによって、放送教育がやり残した作業を改めて始めるときである。
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