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温故知新:近未来を見つめ、過去を振り返ろう

岩手県立大学ソフトウェア情報学部教授 鈴木克明
(第56回放送教育研究会全国大会統括講師)


地上デジタル放送番組『ふしぎだいすき』のデジタル教材を見る神応小学校の児童(3年)
公開授業・保育お疲れさまでした! 公開を引き受けることで出会う番組と人々、学校・園全体で研究に取り組むことで生まれるチームワーク、さまざまな学びがあったでしょう。2日目には、本年度の新しい試みであった実践研究交流会。授業をナマで見なくても研究交流はできる。参加型の交流会で全国からアイディアをたくさんもらえました。やっぱりこの人は目のつけ所が違うね、第一線の指導講師のひと言が心に刻まれました。

放送教育はこのままでは危うい。これは「第一次全放連研究3ヵ年計画」が始まったときの馬場四郎氏(当時東京教育大学)の発言。今から40年前の1965年のことでした。当時の放送教育は時代の花形。隆盛の中にあって、放送教育の良さを明らかにする努力を積まなければならないという警告だった。「研究志向」を訴えていた。

時は流れ、21世紀を迎えた。地上デジタル放送が始まり、放送とITとの融合が叫ばれている。放送教育の伝統を生かしつつ、新しい時代に新しい可能性が模索されている。新しさはどんどん追求するのがよい。今までできなかった、あるいはできにくかったことがより便利に、より高いレベルで実現することで、授業が豊かになるだろうから。近未来を見せてくれるのが全国大会が担うべき役割だから。

一方で、長い歴史のなかで培ってきたことや積み残してきたものは何か、についても考えてみよう。

・半世紀の放送教育で育ててきた「視聴能力の育成とその評価」の実績は、送り手も受け手も十分に継承していかなければならない。

・学習成果の評価がいかに困難であっても、放送番組による情意の学習への効果を明らかにする地道な努力なしに、放送教育のルネサンスを期待することはできない。今こそ、 継続的な研究を積み上げることによって、放送教育がやり残した作業を改めて始めるときである。(中野照海「メディアと教育」2001年9月号)

学力低下が叫ばれている。学校にも対応が求められている。しかし、学力低下よりももっと深刻な問題がある、と有馬朗人氏は指摘する。

 あれだけ受験が大変で親が勉強しろしろといっているのに、日本の子供は勉強が大っ嫌いなんです。嫌いなうえに、できるようになろう、とも思っていない。アメリカや中国は、勉強を好きになろうとか、国のために役に立とう、という気持ちがものすごく強いことです。それに対して日本の子供がいちばん興味があるのが「その日その日を楽しく暮らす」なんです。志が非常に低い。
http://www.manabinoba.com/index.cfm/4,3493,32,html?year=2003


2年国語番組『おはなしのくに』を視聴する(神応小学校・2年)
放送教育に情意領域にかかわる効果が期待できるのであれば、心のあり方について、志について、自分の将来について考える契機を与えるはずである。そういう授業を追究することは、今も昔も大切なことであろう。放送教育が取り組まないでほかに何を期待できるのだろうか。視聴能力の育成にしてもしかり。これだけ情報が氾濫し、信憑(しんぴょう)性を見極める眼力の必要性が叫ばれている昨今、情報をみる目を育て、発信力を育ててきた放送教育の伝統が授業実践に生かされるべきだろう。新しくみえる現代の課題も、実は以前から重要な課題として放送教育が取り組んできたものであることを忘れてはなるまい。

 教師は教える事柄は十分に究明しているべきで、かりそめにもわからないことやあいまいなことが残されていてはならないというのが一般の通念である。また、その指導も児童生徒の模範としての権威を備えなければならないと考えられている。(中略)この点については、教師のあり方や指導についてのこれまでの通念を再検討することが必要ではないだろうか。教師ができるだけ多くの事柄をより深く体得していることはもちろん大事であるが、現代のように著しい速度で進展していく時代にあっては、教師は何でも知っているものとしてふるまうことはほとんど不可能である。教師にとって大事なことは、知らないことを恐れることではなくて、より多く知ろうと努力することである。(文部省(1968)『学校放送の利用(第9版)』 日本放送教育協会 87頁より引用)

名文だと思う。「学校放送の利用において、教師にどのような役割や心構えが望まれるか」という質問への回答として用意された文部省〔当時〕の見解である。これもまた約40年前のことだが、現在のインターネット利用の授業にもよくあてはまる心構えではないか。

 放送教育を実践することによって最も恩恵を受けるのは、それを「使いこなそう」とする教師である。放送を利用することで、放送を使わない授業を見る目も変わってくる。放送を悩みながら自分流に使いこなそうとする。そこには放送によって鍛え上げられていく教師の姿が見えてくる。(鈴木克明(1995)『放送利用からの授業デザイナー入門』日本放送教育協会より引用)

これは今から10年前の筆者の記述。思いはあの頃と変わらない。それぞれの課題を胸に、来年は北海道でさまざまな放送教育に出会うことを楽しみにしたい。
今年度の大会に奔走した関係各位に心から敬意を表して本稿の結びとする。多謝。

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