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放送教育ネットワーク

ネットワーク通信


2016年8月19日(金)

もっと、もっと、教師をやっていたい!!

前埼玉県放送教育研究会研究部長 大室 健司

最後の研究授業

43年間における教師生活の締めくくりを、いつどのようにやろうか最後の年度(平成27年度5年4組担任)が始まった時から考えていました。
 とりあえず、4月の埼玉県放送教育研究開発委員会で、「“最後の研究授業”をする。」と宣言しました。「まだやるの!?」と言われました。
 確かに、60歳定年の時も“最後の研究授業”を結構盛大に行いました。でも、再任用の5年間も担任を続ける意味やその素晴らしさを見てもらいたかったのでごり押ししました。
 今度の“最後の研究授業”は、ただ年齢を重ねただけの教師ではないという証を示そうと、若干恰好をつけることにしました。放送番組を視聴した後に「空発問」と「教育的タクト」を駆使して“私ならではの授業”をやろうと企んだのです。できることならば、1学期に一回、2学期に一回、そして3学期に総括をするということがベストと考えたのですが(過去にやったことがあった)、再任用の身ではやり過ぎと考えて、3学期に43年間を概括するということで妥協しました。
 その授業は、2月10日(水)に行いました。参加者は私を知る現役とOBの教師・NHKの関係者の方々、そして若干の教え子達です。授業は「道徳科」、番組は「ココロ部! 外国から来た転校生」でした。授業は、番組視聴した後、ほぼ子どもたちだけの発言によって展開されました。私は、それを黒板上にイメージマップのように記しながら、極力無駄を省いた言葉と口調、目線と顔の表情、体の動きで授業を進めました。そして、チャイムと同時に授業は終わりました。
 『やった…!!』見た目には完璧な授業でした。教室の雰囲気にも一体感があり、自分の授業を俯瞰していた私自身も納得はしました。
 『…かな??』しかし、なにかモヤモヤしたものが心の端っこのところに引っ掛かっていました。
 次の日、発言記録と板書、それに家庭学習として記録させているスケッチブックを詳しく見ました。わかりました。モヤモヤの正体が。
 板書に「ピアスは学校ではしない」という意見が記された場所がありました。それは“きまりは守るべき”という範疇に属する場所に書かれていました。多くは男子の意見でしたが、2名の女子の発言もあったのです。ところが、この二人の意見はその場に記すべきものではなく“相手の立場に立つ”という場との重なり部分に書かなければならなかったのです。それは、“人と違うことをすると日本ではいじめられることがあるので教えてあげたい”という相手を思いやる心から出た意見だったのです。
 道徳の授業において教師は、やさしさの心情が底辺にある意見に注意を払わなければいけないのです。常日頃、同じような発言でも内容は違うということを自分に言い聞かせていました。同じ言葉でも板書を省かないこと、発言した子どもの日頃の行動や性格を熟考したうえで板書することを心がけていました。“その子らしい、思いのこもった言葉はその授業の中核を為す”もっとも大切にしていた授業スタンスをとれなかったのです。
 人に見せるという意識が無意識のうちに働く研究授業の怖さ、40回を超える研究授業をやっていても、尚、在る私の未熟さ…。『こんなもんか』と臍を噛みながらも、妙に納得してしまいました。

 

最後の授業

『でも、最後の授業はそうであってはいけない。』
 「ココロ部!」であと一本残した番組がありました。「カメラマンの選択」です。なぜこの番組を残しておいたのか明確な答えはなかったのですが、妙に惹かれるものがありました。
 「まだ、授業やるの!?」
 という声が上がりましたが、
 「道徳をやる!!」と言ったら、
 「ワァー」と、歓声があがりました。
 子どもたちもあと一本番組が残っていることを知っていて、道徳の授業を楽しみにしていたのです。
 チャイムがなりました。いつもと全く雰囲気が違いました。子どもたち全員のにこやかな視線が私に注がれている気がしたのです。後にわかったことなのですが、子どもたちは私が教師を辞めることを薄々に知っていて、それを先生自身が言う前に口外することがタブーになっていたのでした。
 妙に照れくさい雰囲気の中、始業の挨拶をすませサッサとテレビをつけました。
 じっと見いっている子どもたち、時折つぶやいたり、近くの友だちとやり取りをしたりする子どもたち…。『あれ、最後の授業を意識しているのは私だけではない。』確かに、子どもたちからも最後の授業を楽しんでいる空気が伝わってくるのです。『こんな時こそ“離見の見”教室を俯瞰しなくては…。』平静さをかろうじて取り戻して番組を見終わりました。何も言わなくても手が挙がりました。一つ一つの言葉の意味を丁寧に聴き取りながら板書をしていきました(写真)。

 

写真・授業のようす
 

“写真館を続ける”“ファッション界の仕事をする”“何とか折り合いをつける”という内容ごとに場が構成されていきました。でも、同じ場に記された発言も中身が違うのです。自分だったらこうするといった行動的な発言。カメラマンやその奥さん、お客の子どもやお母さんたちの気持ちになって親身にアドバイスしている発言。そして、友だちに同調したり反発したりしながらも、考えることの面白さや話し合うことの喜びを味わう発言が教室内に溢れてきていました。
 感じるのです。わかるのです。一人一人が自分らしく真剣に考えていることが伝わってくるのです。心地よい空気の流れとともに授業は進んでいきました。
 そして、この発言が出るのです。
「先生、最後なんだから先生の考え聞かせてよ。」
 今までの道徳の授業で、私が自分の意見を言うことはありませんでした。道徳において教師が意見を言わないということは、一人一人の子どもたちの思いのすべて受け入れるという姿勢を示すことだと考えていたからです。さらに、教師が子どもたちに押し付け的な態度をとらなければ、逆に子どもたちのほうから求めてくることが増えるのです。これは、学級経営にも良い影響を及ぼします。だから、この発言も想定内です。
 さて、こうも上手く展開してくると一瞬躊躇します。私が発言すれば、「空発問」による子どもたちと私の対話という授業構造が変わってしまうからです。つまり、放送教育ではなくて“最後の授業”での先生の話になってしまうのです。でも、子どもたちはそれを望んでいるようなのです。残りの時間は10分余ありました。
 『こうなるのも、放送教育の力か!!』と、意を決して話し始めました。まずは、当たり前のように、仕事は人の役に立ってのものだということ、そして、夢はどんなところにいても求め続けられるということについて話しました。そうしたら、
「先生の夢はなんですか?」
と、聞かれてしまったのです。子どもたちの聞きたかった話は道徳的な内容を超えたところにある何かだったのでしょう。
「うむ、俺の夢か…」
言葉を濁しました。そして、若干の間を取って、言いました。
「先生になることよ…。」
子どもたちの笑顔はさらに笑顔になって、
「じゃあ、先生は夢がかなったんだ。」
ここまで来たら、言うしかない。
「でも、先生になったから夢がかなったんじゃなくて…。今、夢がかなっちゃったんだよね!!」
「うあ~」「うぇ~」「お~」
「おわります。」

 

この記事は、日本視聴覚教育協会発行の月刊「視聴覚教育」8月号にも掲載されています。
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